焼身自殺の闇と真相:市営バス運転手の公務災害認定の顛末 奥田雅治(毎日放送報道局番組部長)著/解題=森岡孝二(関西大学名誉教授)
若い市営バス運転手の焼身自殺は何を物語っているのか。
練達の映像ジャーナリストが、自殺の真相を求めて9年もの長きにわたり闘った両親に密着取材し、カメラをペンにかえて公務労働災害死の深層を抉り出した心を揺さぶる記録。
本書は市営バス運転手の悲惨な焼身自殺事件をめぐる出色のルポルタージュであり、公務災害の認定をめぐる深い闇と隠せない真実を描いた貴重な記録文学である。(森岡孝二・関西大学名誉教授)
- 46判/上製/280頁
- ISBN978-4-905261-37-7
- 本体1800円+税
- 初刷:2018年2月20日
著者の言葉
目次
- プロローグ
- 第一章 若い市営バス運転手の焼身自殺
- 第二章 水野幹男弁護士と出会う
- 第三章 立ちはだかる大きな壁
- 第四章 支部審査会の歪んだ実体
- 第五章 真相究明は法廷の場に
- 第六章 真相が明らかに:高裁での逆転勝利
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エピローグ
- ペンを置く前に
- 解題:推薦のことばにかえて 森岡孝二
著者
奥田雅治(おくだ・まさはる)
1962年生。関西大学社会学部卒業。新聞社を経て現在、毎日放送報道局次長兼番組部長。プロデューサーとしてドキュメンタリー番組の制作に携わる。本書のテーマである名古屋市営バス運転手の焼身自殺の真相を追った番組「映像’13 隠された事故〜焼身自殺の真相を追う〜」で2013年に第68回文化庁芸術祭賞などを受賞したほか、「映像’07 夫はなぜ、死んだのか〜過労死認定の厚い壁〜」でギャラクシー賞、放送文化基金賞、地方の時代映像祭グランプリ、日本民間放送連盟賞、「映像'08 息子は、工場で死んだ〜急増する非正規労働者の労災事故〜」でギャラクシー賞、坂田記念ジャーナリズム賞、「映像'10 母との暮らし〜介護する男たちの日々〜」でギャラクシー賞、JNNネットワーク協議会賞大賞、坂田記念ジャーナリズム賞、「映像’16 追い詰められた“真実”〜息子の焼身自殺と両親の9年〜」でギャラクシー賞など、新聞・テレビを対象とした各賞受賞作品を制作。
森岡孝二(もりおか・こうじ)
関西大学名誉教授、大阪過労死問題連絡会会長
いまから10年ほど前のことだ。当時、テレビドキュメンタリー番組のディレクターをしていた私は、知り合いの弁護士から聞いた名古屋市で起きたある事件が気になっていた。私が勤めるテレビ局は大阪に本社がある。事件や事故、行政上の問題などのニュースは、当然のことだが放送エリアである関西を中心に取材する。だが、ドキュメンタリー番組となるとエリア意識はあまりなくなる。名古屋には名古屋に本社を置くテレビ局があり、当地のテレビ局が取材している事件なら多少遠慮がはたらくのだが、当地のテレビ局があまり関心を示していない事件ならエリア外″であっても遠慮する必要はない。とにかく取材してみようと思いたった私は、新幹線で名古屋に向かった。2008年春のことである。
私の関心を惹いた事件というのは、名古屋市営バスのまだ若い男性運転手が焼身自殺したというものだった。当時、自殺の原因はまだよくわかっていなかったのだが、焼身自殺という尋常でない死に方を彼が選んだことに、私はひどく引っかかるものがあった。
私は、名古屋に着くとその足で弁護士から紹介されていた緑区に住む彼のご両親と会い、自殺現場に案内してもらった。そこは高速道路が複雑に入り組んだ高架下の薄暗く、ほとんど人通りのない寂しいところだった。お二人は、そこに、赤茶けたブロックを組んで小さな祭壇を作っていた。
山田勇さん、雅子さん夫妻の長男で、当時37歳だった明さんが焼身自殺したのはその約1年前、2007年6月のことだった。その日からお二人は息子の自殺の真相を求めて、厳しく長い闘いを強いられることになった。
お二人は自殺前の様子などから、原因は息子の勤めていた職場にあるにちがいないと考えていたし、真相はすぐに判明するだろうと思っていたのだが、その思いは見事に裏切られた。真相の究明は法廷の場にまで持ち込まれ、真実が明らかにされたのは2016年4月になってのことだった。
明らかになった自殺の原因は、職場でのハラスメント(パワハラその他、労働者の人格や尊厳を侵害する行為や事実)と過重労働によって極度の精神的負荷(心理的ストレス)と身体的負荷(身体的ストレス)を被ったことによるものだった。
息子はなぜ自殺したのか、しかもよりによって焼身自殺を選らんだ理由は何か、親なら誰しもが抱く疑問に、明さんの職場の同僚たちは何も答えてくれないばかりか、なぜか彼らに会うことさえままならなかった。お二人とっては苦悶の日々が続いた。
お二人はしかたなく、息子の死からおよそひと月後に、勤め先の営業所に質問状を出したのだが、「まるで心当たりがない」といわんばかりの回答書が営業所長から送られてきた。お二人は納得できなかった。
公務災害請求(地方公務員災害補償基金名古屋市支部に対する地方公務員の労災請求)をしたが認められなかった。名古屋地裁に起こした行政訴訟でも敗訴、控訴審の高裁でやっと大きな精神的・身体的負荷を被ったことが自殺の原因と認められた。明さんの死からほぼ9年後のことである。
この間、闇に隠された真相の扉をこじ開けるために、山田さん夫妻、弁護団、支援者たちが費やした貴重な、しかし苦悩と困難に満ちた闘いは、筆舌に尽くしがたいものがあった。
実は、私だけでなく、この闘いの過程をつぶさに見守り続けてきた者には、高裁での判決結果はある意味で極めて意外なものだったといえる。明さんの自殺の原因を究明するためにお二人が闘った相手は、強固で高い壁のような行政機関だったからだ。さらに職場でのハラスメントに対する司法の無理解が、お二人の闘いをさらに困難なものにした。気がつけば夫妻とも70歳を超えていた。身体的にも精神的にも厳しい状況を背負っての闘いの連続だった。それでもお二人は、真相を明らかにし、自殺せざるをえなかった息子の無念を晴らすために闘い続けた。
大阪から名古屋に出かけて取材を続けていた私自身、地裁で敗訴したときなど、このまま取材を続けるべきか否か、迷いもあった。だが、お二人と周囲の人たちの諦めない姿に勇気づけられ、取材を続けることができた。時には「なぜ名古屋の問題を大阪の記者が取材するのか?」と難詰されたこともあったが、そんなことは気に留めなかった。途中で放り出すことができないほど、お二人と親しい間柄になっていたこともその理由のひとつだったかも知れない。むしろ、取材を進めるうちに、明さんが勤めていた名古屋市交通局の職場環境、労働環境の闇の深さに、このままでよいはずはない、明さんの自殺の原因を究明する闘いの過程を映像化し、これを社会問題化することで、その改善に役立てたいと思うようになっていた。ある意味で、私も山田さん夫妻の闘いの仲間のひとりになっていたともいえよう。
その間、この問題を取り上げたドキュメンタリー番組を四作品制作したが、8年間にわたり、しかもエリア外でのこれだけ長期間にわたる取材は、私にとって初めての経験だった。そのかいあってか、2013年には「映像'13隠された事故〜焼身自殺の真相を追う〜」で文化庁の芸術祭賞をいただいた。
本書は、山田明さんの公務災害死認定を追ったドキュメンタリー番組の取材過程を事実に即して記録として書き残すことがひとつの目的だが、それだけではない。若い市営バスの運転士の自殺が、この職場に特有な問題の表出にとどまらず、日本の働く場が共通して抱える闇を象徴していること、さらには行政機関による真相究明を妨害する行為とも思える対応や司法の無理解によって、遺族が長い間苦しめられ続けたという事実を明らかにすることで、もこの国の働く場や働き方が少しでもよりよくなることを願って、カメラにかえてペンをとることにしたのである。