マルクスの利子生み資本論(全4巻)第1巻 利子生み資本 大谷禎之介著
『資本論』第1部刊行150年 マルクス生誕200年を前に
『資本論』の最難所をマルクス草稿(第3部エンゲルス版第21〜36章に使われた草稿全文)の精緻な解析で読み切る。
20年にわたる著者の考証的論究を、さらに彫琢・拡充して、全4巻に集大成!
- A5判/上製/456頁
- ISBN978-4-905261-29-2
- 本体6000円+税
- 初刷:2016年6月10日
著者のことば(本書「あとがき」より)
第1巻では
マネー・マーケットと呼ばれている市場では、資本としての貨幣が商品となっており、資本の価格が利子だと観念されている。この「資本」、この「利子」とはいったいなにものか? 『資本論』第3部エンゲルス版第21〜24章に使われた草稿部分を取り扱うこの巻では、「利子生み資本」を概念的に把握し、利子が資本所有の果実として骨化することによる利子と企業利得とへの利潤の分割を追跡し、最後に「完成した資本」という資本の外観を引き剥がす。
目次
- 序章A マルクスの利子生み資本論
- 序章B 『資本論』の著述プランと利子・信用論
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第1章 エンゲルス版第21章に使われたマルクス草稿について
- 第21章の草稿、それとエンゲルス版との相違
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第2章 エンゲルス版第22章に使われたマルクス草稿について
- 第22章の草稿、それとエンゲルス版との相違
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第3章 エンゲルス版第23章に使われたマルクス草稿について
- 第23章の草稿、それとエンゲルス版との相違
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第4章 エンゲルス版第24章に使われたマルクス草稿について
- 第24章の草稿、それとエンゲルス版との相違
- 補章1 「資本の一般的分析」としての『資本論』の成立
- 補章2 『資本論』第3部第1稿について
著者
大谷禎之介(おおたに・ていのすけ)
1934年,東京都に生まれる。
1957年,立教大学経済学部卒業,大学院経済学研究科に進む。
1962年,東洋大学経済学部助手。同専任講師,助教授を経て,
1974年から,法政大学経済学部教授。経済学博士(立教大学)。
1992年から,国際マルクス=エンゲルス財団編集委員。
1998年-2015年,同財団日本MEGA編集委員会代表。
2005年から,法政大学名誉教授。
- マルクス『資本論草稿集』全9巻,(大月書店(共訳),1978〜1994年)
- マルクス『資本論の流通過程』(大月書店(共訳),1982年)
- 『ソ連の「社会主義」とは何だったのか』(大月書店(共編著),1996年)
- チャトバディアイ『ソ連国家資本主義論』(大月書店(共訳),1999年)
- 『図解 社会経済学:資本主義とはどのような社会システムか』(桜井書店,2001年)
- 『マルクスに拠ってマルクスを編む』(大月書店,2003年)
- 『21世紀とマルクス』(桜井書店(編著),2007年)
- MEGAAII/11:Manuskripte zum zweiten Buch des "Kapitals" 1868 bis 1881.((共編)Akademie-Verlag,2008年)
- モスト原著,マルクス改訂『マルクス自身の手による資本論入門』(大月書店(編訳),2009年)
- マルクスのアソシエーション論:未来社会は資本主義のなかに見えている(桜井書店,2011年)
- 『マルクス抜粋ノートからマルクスを読む』(桜井書店(共編著),2013年)
- 『マルクスの利子生み資本論』』全4巻,桜井書店,2016年
- A Guide to Marxian Political Economy: What Kind of a Social System Is Capitalism, Springer International Publishing AG, 2016
- 資本論草稿にマルクスの苦闘を読む,桜井書店,2018年
1982年春に〔ヨーロッパでの海外研究から〕持ち帰った6冊のノートが本書の原型であった。そこにあるのは、〔『資本論』の〕第3部第5章その他の草稿の筆写とそれへの無数の書き込みだけであり、筆者の解釈や見解に類するものは皆無である。 しかし、このノートを作成しつつあるなかで、のちになにを明らかにしていく必要があるか、またこれによってなにを明らかにできるだろうか、ということについての、まだ輪郭のあいまいな、しかしその核心部分はかなりはっきりした意識がすでに芽ばえていた。 帰国後のしばらくのあいだの作業は、この意識を顕在化させ、それにもとづいて材料の分析と整理とを進めることであった。第3部エンゲルス版〔『資本論』の〕第25章にかんする拙稿を書き終えるまでの2年ほどのあいだに、この作業はおおむね終わった。 そのあたりで、第3部第5章草稿のすべてを読者に紹介する拙稿をエンゲルス版の章ごとに書いていこうという、前途遼遠の課題を自らに課すことになった。1994年にはそれまでの拙稿をまとめた「利子生み資本と信用制度」と題する論文によって学位を取得したので、 それを書物にすべき道義的義務が生じていたが、それには肝心の信用制度下のmonied capitalについての論究がまだまったく欠けていたので、とてもその気にはなれなかった。帰国後20年経った2002年に、ようやく、最後の「6)前ブルジョア的諸関係」についての拙稿を発表できた。 そこで、拙稿で書いてきたことを圧縮して一書にすることを構想してみたのだが、あちこちにまだよく理解できていない部分が残っていることを痛感して諦めていた。ところが今回、思いもかけず、そのような構想からは解き放たれて、このかたちで本書を仕上げることになった。 こうして筆者の現時点での第3部第5章理解の骨格を世に問うことができるようになったこと、30年来の宿題が片づいたことを率直に喜びたい。
本書のもとになった諸拙稿では、第3部第1稿第5章の草稿全文の訳文のほか、MEGA版での諸種の注と、「混乱」以外では草稿第5章とエンゲルス版第5篇との相違についての筆者の訳注とを収めて、草稿の第5章を読みたいと考えておられる読者に利用していただくことをいつでも念頭に置きながら、作業を行なっていた。 それがようやく一書のかたちで読者の手にお届けできるようになったことは大きな喜びである。(注:〔 〕内は桜井書店による補足です。)