マルクスのアソシエーション論:未来社会は資本主義のなかに見えている 大谷禎之介著
「個人の十全で自由な発展」を実現する社会をめざしたマルクス。顕微鏡的穿鑿を踏まえて「発展形態の内的紐帯」を探るマルクス。そのようなマルクスをどのように読み解けば、彼の理論と思想から現代の社会運動が必要としている指針を読み取ることができるか。長年にわたる渾身のマルクス研究がここにひとつの読み方を示す。
- A5版/上製/432頁
- ISBN978-4-905261-03-2
- 本体5200円+税
- 初刷:2011年9月20日
著者の言葉
目次
- 凡例
- はじめに--マルクスにとって未来社会はどういうものだったのか
- 序章 「現存社会主義」は社会主義か
- 第T部 アソシエーションとはどういう社会か
- 第1章 マルクスのアソシエーションとはどういう社会か
- 第2章 「資本主義的生産の否定」はなぜ「個人的所有の再建」か
- 第3章 「アソーシエイトする」とはどういうことか
- [補論1] マルクスは「社会化」という語をどのように使ったか
- [補論2] マルクスは「関わる[sich verhalten]」という語をどのように使ったか
- 第U部 ソ連の社会は「社会主義」だったか
- 第4章 ソ連の社会は国家資本主義だった
- 第5章 ソ連の社会は資本主義だった
- 第V部 アソシエーションをめざして
- 第6章 アソーシエイトした労働とはどのような労働か
- 第7章 アソシエーションを実現する個人はどのようにして生まれるのか
- 第8章 資本主義はアソシエーションを懐妊し産みおとす
- 第9章 自由な諸個人のアソシエーションをめざして
- 終章 マルクスにとって『資本論』とはどういうものだったか
- あとがき
- 本書に引用したマルクスおよびエンゲルスの著作等の一覧
著者
大谷禎之介(おおたに・ていのすけ)
1934年,東京都に生まれる。
1957年,立教大学経済学部卒業,大学院経済学研究科に進む。
1962年,東洋大学経済学部助手。同専任講師,助教授を経て,
1974年から,法政大学経済学部教授。経済学博士(立教大学)。
1992年から,国際マルクス=エンゲルス財団編集委員。
1998年-2015年,同財団日本MEGA編集委員会代表。
2005年から,法政大学名誉教授。
- マルクス『資本論草稿集』全9巻,(大月書店(共訳),1978〜1994年)
- マルクス『資本論の流通過程』(大月書店(共訳),1982年)
- 『ソ連の「社会主義」とは何だったのか』(大月書店(共編著),1996年)
- チャトバディアイ『ソ連国家資本主義論』(大月書店(共訳),1999年)
- 『図解 社会経済学:資本主義とはどのような社会システムか』(桜井書店,2001年)
- 『マルクスに拠ってマルクスを編む』(大月書店,2003年)
- 『21世紀とマルクス』(桜井書店(編著),2007年)
- MEGAAII/11:Manuskripte zum zweiten Buch des "Kapitals" 1868 bis 1881.((共編)Akademie-Verlag,2008年)
- モスト原著,マルクス改訂『マルクス自身の手による資本論入門』(大月書店(編訳),2009年)
- マルクスのアソシエーション論:未来社会は資本主義のなかに見えている(桜井書店,2011年)
- 『マルクス抜粋ノートからマルクスを読む』(桜井書店(共編著),2013年)
- 『マルクスの利子生み資本論』』全4巻,桜井書店,2016年
- A Guide to Marxian Political Economy: What Kind of a Social System Is Capitalism, Springer International Publishing AG, 2016
- 資本論草稿にマルクスの苦闘を読む,桜井書店,2018年
マルクスは,資本主義的生産様式に代わってアソーシエイトした労働の生産様式が生まれると予測した。これは明らかに,人類社会の未来についての予測である。これにたいして,マルクスの未来社会についての展望を〈できるはずもない予測にすぎなかったのだ〉と批判するその当の「マルクス経済学者」ないし自称「マルクス主義者」の多くが,〈人類社会が存続するかぎり,市場経済はなくならないし,なくすこともできない〉と考え,そのように主張している。これらの論者たち自身がおおむね自覚し,また実際に発言しているように,この主張は〈未来社会では市場経済が消滅する〉というマルクスの予測を誤ったものだとして否定するものである。しかし,こうした主張そのものも,人類社会の未来についての予測ではないであろうか。つまりこの人々も,社会の未来について予測しているのであり,それも,社会の過去と現在との認識にもとづいて未来を予測できると考えて,そうしているのである。 マルクスの予測も彼らのこうした予測も,社会の過去と現在との認識にもとづく未来の予測,というかぎりではまったく同等である。どちらの予測が当たるかは,それぞれが予測の根拠としている,人類社会の過去と現在とについての認識の正確さにかかっている。
未来社会についてのマルクスの予測は,彼の眼前にあった社会システムの認識によるものである。だから,未来社会についての彼の予測の正しさは彼のこの社会認識の正しさにかかっているのだということになる。しかし,もう一歩踏み込めば,じつは,マルクスは資本主義社会を分析して,この社会が,生まれ落ちたのち成人してアソシエーション社会となる胎児を懐胎していることを知ったのであって,この胎児を知るというかぎりでは,これは,いまだ生起していない事象についての「予測」というよりも,現在すでに目の前にある対象そのものの認識であり,資本主義社会そのものの認識の一部をなすものである。
われわれがマルクスが残したものから彼の未来社会論を読み取るというのは,一方で,彼が資本主義社会のなかに見た,すでに孕まれている胎児とはどのようなものか,ということを知ることであり,他方で,この胎児は,それが将来生まれ落ちて成長したときにどのような成人になるであろうか,ということをこの胎児そのものから予測する,ということである。(以上、「はじめに」より)
マルクスの片言隻句や一部の領域についての彼の仕事だけに目を奪われたり,それを利用して自己の言説を裏づけたりすることでよしとするのではなく,彼が自然と社会をトータルにつかもうとしたのと同じように,彼の一生の仕事をトータルにつかむように心がける必要を痛感させられる。マルクスをそのように読み続けるかぎり,彼は,たえず繰り返して新たな相貌を見せる巨人として,われわれの目の前に立ち続けるであろう。(以上、「終章」より)