- マルクスはいかに考えたか:資本の現象学 有井行夫著
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批判的社会認識におけるマルクスの方法をラディカルとらえかえし、20世紀マルクス主義のマルクス理解を問う。キーワードは、実証主義批判としての唯物論。
四六判/上製/324頁
ISBN978-4-921190-66-8
本体2700円+税
発行
初刷:2010年6月30日 - 著者の言葉
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今日こそ数多くの人々がマルクスを読んでほしいと思う。
ソ連が崩壊し,資本のグローバリゼーションが劇的に進行している。インターネットのネットワークは全世界の一体性を時々刻々とたかめている。まがりなりにもCO2の削減が国際的枠組みのもとで地球的事業として試みられるようになった。ヨーロッパ,北米,日本では政策選挙が定着し,新古典派の構想とケインズ派の構想とが人々の批判にさらされるようになった。新古典派の原子論的社会認識とケインズ派の全体論的社会認識は,実は,資本主義自身の2つの対立的な自己認識である。だから両者の相互批判とは資本主義の自己批判にほかならない。
高度に集積された生産諸手段はますます生産の社会的力能に転化している。労働そのものはますます社会的労働として直接的に組織されるようになった。資本主義的生産は、このどちらから見ても私的所有と私的労働とを廃棄している。生産諸関係は国境を越えて有機化し,世界市場において一体化し,諸国民の政策協調が現実化している。
すべてはマルクスの世界構想の現実化を物語っている(『資本論』第三部「主要事実」論を参照)。今なによりも私たちにとって重要に思われるのは,私たちを翻弄しているかに見える変革の意味を私たち自身が自覚し,私たち自身の変革行為に意味転換することだ。
本書は一般読者を対象として意識された研究書である。今全世界で繰り広げられつつある「マルクスに学ぶ運動」に参加するものだ。その際,マルクスを正しく深くそして自由に理解するために,解説書や研究書は多ければ多いほどよい。本書はそのなかで有益な1冊たることを目指している。
本書のねらいは,「マルクスの考え方」(=「マルクスはいかに考えたか」)にある。あるいはマルクスの考え方を「わかる」ことにある。
マルクスは難解である。私たちの常識の世界を批判して真実の世界を浮上させようとしているからである。そのために「わかり方」が独特なのである。本書はマルクスが「わかる」ための入門書である。
(中略)
本書が,厳格に立場性を堅持すべきと考える態度をキーワードで示せばつぎのとおりである。
唯物論(=存在主義)。観察者の立場の否定。実証主義と制度主義の両面批判。国家,法律,政治,芸術,科学は歴史をもたない。偶然性を許容する概念的把握。死んだ関係と生きた関係との区別。ヘーゲル自己意識論批判としてのマルクス労働論。実践的観念論と静観的唯物論。労働だけが経験する。生きた矛盾は媒介される。本質的矛盾としての疎外された労働。直接的矛盾としての私的所有。実体の主体化。矛盾の対象化,存在主義のループ(円環)=前提を措定する。批判的社会認識の大ループ(=大研究円環、疎外された労働・『経済学哲学手稿』から疎外された労働・『資本論』第1部蓄積論へ。疎外された労働・『経済学哲学手稿』から疎外された労働・『資本論』第3部株式会社における所有と機能の分離へ)。3つの社会システム(労働のシステム・物象のシステム・人格のシステム)と3つの歴史観。神と国家と貨幣の止揚。以上である。
初期のマルクスに手あつい構想であるが,本書はマルクスの成功の秘密は『資本論』冒頭の商品論にあると考えている。運動の主体としての商品である。そして商品論を準備したのが初期マルクスだと考えているからである。本書は,マルクスと「おなじ」想定から出発してマルクスの「ちがう」世界を構成するだろう。私の理解する「マルクスらしさ」を私自身の言葉で語るだろう。引用はわずらわしくなるので原則としておこなわない。運動主体としての商品の理解は,実はマルクスの現代認識における最初の作業である神の批判によって導かれた。神の批判とは,「神と国家と貨幣の止揚」という一連の批判作業の出発点をなすものである。
(以下略)
- 目次
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第1章 神と国家と貨幣の批判
- 001 神は実在するか
- 002 対象を対象自身の生命にそくして知る
- 003 神は実在しない
- 004 神は実在する
- 005 権力者秀吉は実在するか
- 006 秀吉権力は構造化して存在している
- 007 神の実在性は秀吉の実在性と同一である--社会的実体
- 008 資本は現象学する
- 009 社会的実体は物的基礎と短絡する--物神崇拝
- 010 商品価値は私的労働を社会的労働に転換する社会的実体である
- 011 環境問題とはなにか
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第2章 社会的諸関係の批判--1本の関係線を措定する
- 012 認識とは対象の存在領域の実践的限定である
- 013 批判の原理は媒介である
- 014 批判的認識とは中間項を立てて疎遠な2項を媒介することである--例題演習
- 015 生きた関係を死んだ関係から区別する--批判を実現する媒介
- 016 対象と意識という世界像は虚偽である
- 017 単純な関係は対象にたいする1項の関わりの運動である--相互関係との区別
- 018 「観察者の立場」は死んだ関係を受容させる--認識主義
- 019 歴史認識、国家認識は困難である--困難の認識が解決の手がかり
- 020 問題の立て方の批判が解決を示す
- 021 社会認識において原子論と全体論とが対立する
- 022 マルクスの社会認識は全体論か
- 023 観察者の立場を克服する--個別性と普遍性の統一
- 024 無限性とは生命の関係運動である
- 025 生命の運動が具体的な普遍と具体的な個別を定義する
- 026 資本のシステムにおける3つの生命ループ--3つの研究ループ
- 027 小休止--事実によって権威づけられるか,事実の権威を批判するか,自己還帰運動のイメージ
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第3章 自己意識から労働へ
- 028 自己意識は生命より一段階高次の関係運動である
- 029 ヘーゲルの自己意識はマルクスの労働する諸個人である
- 030 労働とはなにか--自由な具体的普遍
- 031 労働とは自由な媒介活動である
- 032 労働は自己意識を産み出す
- 033 労働を媒介する社会的諸関係は根源的な生きた関係である
- 034 労働する諸個人は社会的存在である--いや、普遍的存在である
- 035 労働する諸個人は共同体的存在である--社会統合する存在
- 036 労働する諸個人には自己の歴史がある
- 037 政治,法律,科学等々,芸術,宗教等々の歴史は存在しない
- 038 労働する諸個人と消費する諸個人とが対立する--農夫と息子
- 039 労働する諸個人は自然史的存在である
- 040 人間の存在限定は労働する諸個人である
- 041 道具を使う猿からの区別は容易である
- 042 労働する諸個人は自由な存在である
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第4章 マルクスの唯物論と批判的社会認識の二段構え
- 043 認識は実践的である
- 044 理論はどこに存在するか
- 045 マルクスの唯物論の第一義は観察者の立場の否定である
- 046 マルクスの唯物論は実践的唯物論である
- 047 労働は矛盾としてシステム原理をあらわしうる
- 048 運動する矛盾を例解する
- 049 矛盾するシステムは認識不能である
- 050 労働論は矛盾するシステムの認識を可能にする
- 051 批判的社会認識の二段構えを構想する--ヘーゲルからマルクスへ
- 052 二段構え構想は「下向と上向」ではない
- 053 疎外された労働は資本のシステムの本質的矛盾である
- 054 疎外された労働は資本のシステムの歴史的存在原理である
- 055 疎外された労働にたいする唯一の対立物は「私的所有」である
- 056 私的所有に自己の労働が譲渡される
- 057 社会が存立するということについて考えてきた
- 058 人間は鉄腕アトムをつくれるか
- 059 媒介的社会的諸関係が直接的社会的諸関係を批判する
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第5章 3つの社会システムと3つの主要ループと3つの歴史観--実体の主体化と矛盾の対象化
- 060 生産諸関係の基礎としての所有論がマルクスの考え方の継承をさまたげてきた
- 061 所有とはなにか
- 062 所有に占有が,人格に人間が,物件に物がそれぞれ対立する
- 063 疎外された労働から私的所有へ,私的所有から商品へ
- 064 現代社会システムは3つに分裂している--労働のシステム,物象のシステム,人格のシステム
- 065 土台・上部構造論3つの社会システム
- 066 これからの展開を限定する--実体の主体化
- 067 実体は主体化する(1)--資本は現象する
- 068 主体は自己の前提を措定する
- 069 3つの社会システムと3つの関係ループとを区別する
- 070 範疇的意義における形態を措定する--実証主義批判
- 071 批判的社会認識は2つの自己矛盾を区別する
- 072 『資本論』の考え方を知るとはどういうことか--批判的社会認識の原理としての資本
- 073 資本と近代株式会社の関係を例にとる
- 074 マルクスと私たちとをともに包摂する「共通の現代」を資本のシステムが定義する
- 075 資本のシステムでは主客が転倒している
- 076 商品のシステムは資本のシステムとして実現する--実体は主体化する(2)
- 077 『資本論』第1部の構造--実体は主体化する(3)
- 078 存在限定が3つの歴史観をみちびく
- 079 『資本論』第2部の構造--実体は主体化する(4)
- 080 『資本論』第3部の構造--実体は主体化する(5)
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第6章 商品の世界を否定して資本の世界が出現する--資本の現象学
- 081 冒頭商品は物象のシステムの出発点である
- 082 マルクスの労働価値説を考える--マルクス矛盾論の考え方
- 083 2つの「労働の二重性」
- 084 価値表現の原理と貨幣の必然性
- 085 価値表現の原理の例解
- 086 商品生産の原理に対立するのは共同体的生産の原理である
- 087 所有諸関係から生産諸関係が疎外される--生産諸関係の物象化
- 088 物象化と物神崇拝再考--マルクス矛盾論の徹底として
- 089 商品と労働の関係については特別な注意を要する
- 090 範疇的意義における私的所有は商品の交換過程において発生する
- 091 物象の人格化は商品所持者の本質的規定である
- 092 法的人格の世界の成立の意義は二重である
- 093 資本理論の意義は物象の労働を措定することである
- 094 資本の秘密--労働する機械と洗濯する機械と人を殺す機械
- 095 労働の実質的包摂と資本の生産様式の確立
- 096 物象的主体と労働の関係を再確認する
- 097 システムの正当化破綻をとおして資本が出現する
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第7章 神と国家と貨幣の止揚
- 098 現代社会を存在限定する資本をとらえてきた--マルクスは出発点の真理性にこだわり,古典派経済学は理論の真理性にこだわらない
- 099 社会構造の存在主義的イメージ
- 100 資本主義とはなにか
- 101 資本主義的生産の主要事実
- 102 通過点の形態としての株式会社--敵対的な自主管理
- 103 株式会社は範疇的意義における私的所有の現象である--資本は現象する
- 104 『資本論』の最終範疇としての株式会社における所有と機能の分離
- 105 神と国家と貨幣の止揚
- おわりに
- あとがき
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第1章 神と国家と貨幣の批判
- 著者
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有井行夫(ありい・ゆきお)
1949年,長野県諏訪郡に生まれる
著書
1973年,東京大学法学部卒業
1978年,東京都立大学大学院社会科学研究科経済政策専攻博士課程単位取得
1988年,経済学博士(東京都立大学)
現在 駒澤大学経済学部教授
専攻 理論経済学- 『マルクスの社会システム理論』(有斐閣,1987年)
- 『株式会社の正当性と所有理論』(青木書店,1991年)
- 『現代認識とヘーゲル=マルクス』(共編著,青木書店,1995年)
- 『マルクスはいかに考えたか:資本の現象学』(桜井書店,2010年)
- 『株式会社の正当性と所有理論 新版』(桜井書店,2011年)